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Migrants interview 移住者インタビュー

新しい生活と、よりよい子育て環境を求めて

佐野翔さん・裕希子さん夫妻

農業も倉敷での生活も初めてという佐野さんご夫妻。
それまで住んでいた都会での生活との違いなどを伺いました。

移住時の年代
20代 30代
家族構成
夫婦
移住スタイル
Iターン
移住時期
2017年 6月

会社員から農業人へ

大阪出身の翔さんと、神奈川出身の裕希子さん。2017年の6月に倉敷へ移住しました。翔さんはブドウ農家を目指して研修中、裕希子さんは市役所で働いています。

東京のおもちゃの販売会社で働いていた二人は、2016年の7月に結婚しました。その1、2年ほど前から翔さんは自営業をしたいという思いを持っていたそう。「約10年サラリーマン生活をしたので、一生のうちに違う仕事をしてみたいという気持ちがありました。実家が自営でお好み焼き屋をしていることも大きかったと思います。それから、どんな仕事をするか考えるうちに農業に興味を持っていきました。

それと同時に、いずれは大阪に近い西の方へ住むことも考えていたそうです。その頃はまだ具体的な場所を描いていなかったものの、お祖父様が広島にいたことから大阪と広島の間のあたりがいいなと思っていたそう。また、会社員時代に毎年数回出張で倉敷にくる機会があり、良い印象を持っていたといいます。裕希子さんも「私も東京を出たいと思っていました。東京で5年サラリーマンをした中で、満員電車のストレスがあったり、会社の先輩が子育てにすごく苦労するのを見たりして、この人口密集地でこの先ずっと過ごしていく絵はあんまり見えていませんでした。就職の時も地方で働いてみたいと考えていた時期があったので、自分の居を移すことへの抵抗はありませんでした」といい、移住へと話は進んでいきました。

2人は東京で開催されていた移住相談フェアと農業人フェアへ。フェアでは、広島や山口などいろいろなところを見ました。そんな中で、出張で訪れてた倉敷での思い出が浮かんできたそう。そして、農業の研修制度が岡山は充実していたこと、就農率が全国でも高いことが決め手となり、倉敷への移住を決めました。

翔さん「街中だと子育て環境が恵まれるので、街中だけど農業もできるというのが倉敷のいいところだと思いました。また、商業も工業も発展していて働き口の選択肢が多いので、研修期間を経て収入が安定するまでの間、妻に別の仕事をしてもらうことができるのも、倉敷に移住する決め手となりました。」

ブドウ農家での農業研修

2018年の2月から農業研修に入り、現在研修1年目。研修期間は2年です。その間は、週5日8時ごろから17時ごろまで師匠の畑でブドウ作りを学びます。夏には初めてブドウの収穫を経験し、ブドウをまるで宝石のように感じたそうです。「綺麗でキラキラしていて、岡山を代表する果物を収穫しているんだなと思いました。でも、今はまだ師匠の畑を手伝っている段階で一から育てているわけではないので、喜びはまだ先かなと思います。同時に、本当に大変なこともまだ実感していません。今は勉強の日々です」。

師匠のもとでの勉強と同時に、自分のブドウの苗も育てています。品種はシャインマスカットとピオーネで、収穫できるのは4年後。自分で一から育てて収穫したブドウが消費者のもとに届く日のことを楽しみにされていました。

穏やかな暮らしを実感

移住にあたって一番不安だったのは生活面のこと。「なんとかなるかな」という気持ちはありつつ、やはり心配はありました。でも、実際に生活が始まってみると、心配していたことはとりこし苦労でした。例えば、生活費の面で困ったことはなかったそう。収入は減りましたが、家賃は当時の半分なのに部屋は広くて駐車場付き。東京に比べて物価も安いので生活費も半分くらい。東京の時と同じ生活水準で暮らしていても、支出はかなり減ったそうです。それと合わせて、とても穏やかに暮らせるようになったといいます。
裕希子さん「東京の時は残業も多くて、家にいる時間が少ないのに高い家賃を払わないといけないというのが結構ストレスでした。通勤や人混みにも体力を奪われるので、休日は家で寝て過ごして。ひたすら仕事と家の繰り返しでした。今は時間にも気持ちにもゆとりができて、休日には出かけることも多くなりました。また、働く職場としての市役所は、地元の役に立てるという実感が持ててやりがいがあるし、職場の同僚は倉敷のお勧めのお店を教えてくれたりと、しっかり仲間として受け入れてもらっているのを実感します」

以前はペーパードライバーだった裕希子さんも、倉敷に来てからは車を運転するようになり、四国などにもでかけるように。ドライブの楽しみを知ったといいます。一方、翔さんは仕事で軽トラックの運転が必要なため、こちらでMT免許を取得したそう。「山での運転は今でも苦労しています。脱輪も2回ほどしました(笑)。その度にいろんな人が助けてくれて温かさを感じました」。

これからの暮らしについては「この先、子どももほしいなと思っています。妻が望んでいた「のびのびとした子育て」をようやく実感できるのかなと、これからの生活を楽しみにしています」と翔さん。裕希子さんも「会社員のときと違って自由がききやすいので、いろいろ助け合える部分があると思います。うまく協力しながらやっていけたらいいなと思っています」と話してくださいました。

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